東京高等裁判所 昭和47年(行ケ)101号 判決
一 原告主張の請求原因事実のうち、特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨および審決理由の要点については、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告の主張する審決の取消事由について検討する。
(一) 取消事由(一)について
成立に争いのない甲第三号証の二によれば、第一引用例には乾燥粉末エーロゾルについて記載され、その記載によれば、粉末エーロゾル製品の最大の問題は詰りと漏りであり、凝集性沈澱による詰りをある種の選定された噴射剤あるいは噴射剤混合物の使用によつてなくするか、少くすることができるとし、「選定された噴射剤とともにある種の懸濁剤を使用することによつて沈澱を減じることができるであろう。」と述べていることが認められる。もつとも、同引用例にはこの懸濁剤に関してその実験結果については何ら記載されていないことは、原告主張のとおりである。しかしながら、同号証によれば、同引用例には、その後に粉末エーロゾル用に設計されたバルブについて説明した後に「このようなバルブは選定された噴射剤方法で使用するのに適切であるばかりでなく、懸濁および搬送剤を含有する粉末の噴霧を容易にするだろう。」(同書一六九ページ右欄六行から一〇行まで)と結んでいることが認められる。この記載は懸濁剤の使用を当然の前提としているものと解せられる。したがつて、第一引用例のこれらの記載を見れば、第一引用例には、懸濁剤を使用して粉末エーロゾル剤の粉末体の凝集沈降を減少させることが単に予想されるにすぎないとするのではなく、可能性あるものとして示されていると解するのが相当である。
それ故、第一引用例の記載はある種の懸濁剤を使用することによつても沈澱を減じることができるのであろうと推測しているにすぎないとする原告の主張は理由がない。
(二) 取消事由(二)について
成立に争いのない甲第四号証の二によれば、第二引用例には原告主張のごとく、実験の結果ミリスチン酸イソプロピルが懸濁剤としての必要な特性のすべてを有し、かつ、粉末製品用の理想的な懸濁剤であることを示した旨記載されていることが認められる。そして、成立に争いのない甲第二号証によれば、本願発明の公報中発明の詳細な説明の項には、原告主張のごとく、ミリスチン酸イソプロピルエステルは「良好な懸濁液、適当に均質ではない。吐出弁に粘着する。」と記載されていることが明らかである。しかしながら、この甲第二号証によれば、このミリスチン酸イソプロピルエステルを使用した試験結果は、フレオン一一、三〇%と、フレオンWなる混合物七〇%とより成るフレオン混合物を発射剤とし、これに酢酸ヒドロコーチゾン〇・五%を含む液と組合わせて使用した試験結果に関するものであることが認められる。したがつて、ミリスチン酸イソプロピルでも他の物質と組合わせて使用した場合に前記公報に記載されたと同様に吐出弁に粘着する結果を生じるかどうか必ずしも明らかであるとはいえない。
そして、当事者間に争いのない本件審決理由の要点によれば、審決は、第二引用例の記載からミリスチン酸イソプロピルが懸濁剤に必要なすべての特性を有するものであり、この事実を前提に第二引用例の記載から本願発明が容易に推考しうるとするものではないのであつて、審決は、第二引用例には懸濁剤の好ましい特性が列記されていること、技術常識から界面活性剤が懸濁剤のこの好ましい特性の一部を充す性質を有するものであることを前提に、第三引用例の記載とも相まつて、本願発明を容易に推考しうるとするものである。そして、本願発明の公報中にはミリスチン酸イソプロピルその他若干のものを除いては、第二引用例に列記された好ましい特性を有するあらゆる種類の懸濁剤が本願発明の懸濁剤として適当ではないとの記載はないのであり、また、界面活性剤が審決説示のように懸濁剤の好ましい特性の一部を充す性質を有する物質であることが一般技術常識であることは、原告の自認するところでもある。
してみれば、原告が主張するように第二引用例に記載されたミリスチン酸イソプロピルが実験の結果本願発明の懸濁剤として適しなかつたという事実だけから、第二引用例の記載から本願発明が容易に推考しえないとすることはできない。
(三) 取消事由(三)の1について
第三引用例中に記載されている非イオン界面活性剤のHLB値とその一般的特性は、媒質が水で親油性の固体粒子が存在する場合のものであり、これに対して、本願発明は、媒質が油性で親水性の固体粒子が存在する場合であることは、当事者間に争いがない。
ところで、一般に、浸潤作用は液体の表面張力、液体と固体との界面張力等の大小により影響を受けるものであることは、技術常識であるが、界面活性剤を添加した場合には、媒質たる液体とその液中の固体粒子の性質の相互関係により前記界面張力に変化を生じ、その張力が減少することがあることは勿論、場合によつては増大することもあり、その結果浸潤作用が増大することは勿論、場合によつては減少することもあり、その結果にどのような影響を及ぼすか一義的には決しえないものであることは予測できないところではない。そうだとすれば、界面活性剤のHLB値とその浸潤作用との関係は、媒質たる液体とその液中の固体粒子の性質の相違によつて、常に必ずしも同じとはいえないと解するのが相当である。
被告は、本願発明と第三引用例とでは媒質と固体粒子の性質が逆ではあるが、固液界面における固液の相互関係は、界面活性剤が水性の媒質に溶解しているか、油性の媒質に溶解しているかの相違は別として、両者とも界面活性剤が界面膜を形成している点においては原理的に同一であると主張する。しかし、界面活性剤の界面膜の形成状態が両者原理的に同一であることから、ただちに両者の固液界面の界面張力に差を生じないということはできない。
また、被告は、明細書の記載からみて、本願発明の方法は非水系液体中に固体粒子を単に懸濁させるということにすぎないから、懸濁剤の作用は前記の原理的な事項から充分予測できる旨主張する。しかし、本願発明の固体粒子が親水性のものであることは、被告の認めて争わないところであり、このような事実を前提に考えれば、界面活性剤の界面膜の形成状態が本願発明と第三引用例とでは原理的に同一であるからといつて、両者の固液界面の界面張力がひとしいものとはいえず、その浸潤作用も同様に考えるべきであるともいえない。したがつて、第三引用例より看取できる界面活性剤の界面膜の形成状態に関する原理的事項のみから、本願発明の非イオン界面活性剤の浸潤作用を予断しうるということはできない。
以上の次第であるから、第三引用例中に非イオン界面活性剤はHLB七~九のものが浸潤作用を有する旨記載されていても、この記載から本願発明の非イオン界面活性剤のHLB一〇以下のものを容易に推考しえたということはできない。したがつて、これと異る審決の判断には原告の主張する違法がある。
三 よつて、原告の主張するその余の点について判断するまでもなく、本件審決の取消を求める原告の本訴請求は正当であるから認容する。